湧水保全地区 三貫清水緑地の自然 ア・ラ・カ・ル・ト
2007年4月16日


1.那須甲子少年自然の家 partW/懺悔の洗濯

 昭和57年4月から60年3月までの勤務が終了した。

 昭和55年に社会教育主事の資格を取得し、文部省管轄の出先機関の社会教育施設での3年間は、私にとって、何ものにも代え難い貴重な経験であった。学校教育を離れて外から客観的に観ることができたこと、そして自然とは何かについて本質から学ぶことができたのだ。

 少年自然の家の施設職の基本理念は「牧柵になれ」であった。

 どういうことかというと、自然の家という広いエリア(因みに那須甲子少年自然の家は330万平方米[100万坪])の中に子どもたちを放し飼い(ことばが少々乱暴であるが)にし、自発的に、心身共にたくましく育てる。
 指導者は群れのリーダーである。我々施設職員は牧柵だ。安全点検を行い、危険な箇所にはロープを張り、ハイキングコースには滑らないように木道を整備する。「これ以上外へ行くと危険ですよ」「ここまでは安全ですよ、安心して野外活動を楽しんでください」と、まさに縁の下の力持ちになりきるのである。

 安全安心を確保して、子どもたちの成長を援助し、保障する。そのためには、活動時間は余裕をもって設定することが必要不可欠である。試行錯誤の中での失敗経験が生かされるだけの余裕がなければならない。自然の家に来たのに、集団行動の訓練で「時間を守る」ことだけに終始するようでは、子どもたちは心の底から野外活動を楽しむことはできないのである。
 入所団体のもつ利用目的を達成するために、私たち一人ひとりは、どんな支援をしたらよいか。そして、可能な限り、黒子に徹することである。等々。

 自分が歩んできた学校教育は「継続性」が重視される教育で、社会教育施設での教育は「一過性」の教育である。出会って別れるまでの1泊2日、2泊3日、3泊4日間のチャンスは、ほとんど一期一会。ほとんど2度と会えない関係だ。だから、常に全身全霊を集中させてベストコンディションで対応しなければならない。
 学校教育の現場なら、少々の失敗は次のチャンスにカバーすることが可能だ。自然が相手という中での一過性の人間関係の在り方を3年間じっくり学ぶことができた。自然体で生きるということはどういうことなのかを理屈抜きに直接体験することができた。ゆっくリズム、のんびリズムで少しは気が長くなり、少々のことは許せるようになった。

 さて、このようにして私の3年間の勤務は終わり、再び学校教育現場に戻っての忙しい日々が始まった。

 昭和60年4月上旬のある日曜日のこと。私は妻に「単身赴任の生活でせっかく一通りの家事を身に付けたので、今までやっていた家事の分担に1つ何かを加えたいのだが、何がいいかな?」と言ってみた。
 「そうね。せっかくだから、洗濯をお願いするわ」という言葉がすぐに返ってきた。かくして、私の家事の一部に洗濯が入ってきた。

 少し続けてみてわかったことは、洗濯は想像以上に大変であること。中学生の長男と小学生の次男の洗濯物は、けっこうバラエティに富んでいた。中学生の長男は当時器械体操部に入っていた。
 汚れたスポーツソックスは、プレケアの洗剤で予備洗い。Yシャツはライオンのプレケアをエリ・ソデに付けてブラッシング。そしてハンガーにかけて竿に干し、取り込んで、乾いたら畳むという一連の仕事はけっこう大変である。おまけに我が家の洗濯機は、当時は2槽式であった(当時は、ではなくて、その洗濯機は今でも快調に動いている)。

 洗濯を始めて3週間経ったある日、突然私の頭の中に神の声が聞こえた。「洗濯ごくろう様。でもやってみると大変だろう?」。その声に自然に答えていた。「子どもが小さい時に何故母親のたいへんさに気がつかなかったのか。遅ればせながら、死ぬまで家族の洗濯はオレがやるぞ!」。

 かくして、私はこれを「懺悔の洗濯」と呼ぶことにして、PTAの席や、社会教育主事仲間に得意になって話していた時期を懐かしく思う。仲間の一人の秩父のM先生は「島村さん、オレん家に遊びに来た時には、女房の前で洗濯の話だけはするなよな」と釘を刺されたものである。


◇     ◇



2.10年前からの警鐘/子どもたちの体験不足目立つ

 小・中学生の「自然体験・生活体験等に関する調査」/その1
   (時事通信社発行「内外教育」1996年1月23日号、徳武靖著から転載)

 周りの環境の変化に伴い、子どもの直接体験が稀薄化したことが、大きな問題になっている。斎藤哲瑯川村学園女子大助教授らの研究グループはこのほど、小・中学生を対象に行った「自然体験・生活体験等に関する調査」の結果をまとめた。

 予想通り子どもたちの体験不足が目立ち、1000M以上の山に歩いて登ったことや、赤ちゃんのオムツを替えたりしたことがない者が、それぞれ7割近くを占め、また、自分の下着を洗濯したりしたことがない者が7割を大幅に上回るなどの状況が明らかになった。そんな中で、時流を反映して、例えばスキーをしたり、家族と山や海に行った者が過去に実施してきた調査より増え、家族を中心にした旅行が増加してきた様子もうかがわせている。

 ◇経験少ない1000M以上の山登り
 調査は今年6月、国立那須甲子少年自然の家を利用する予定の小・中学校から20数校を選び出し、小学校4年〜中学校3年を対象に実施した。回答者は2200人余りで、福島、栃木、茨城、群馬、千葉、東京の1都5県にわたる。1991年にも同種の調査を行っている。

 最初は自然体験について。「1回も経験がない」という事柄を多い順にピックアップすると、次の通りで、1000M以上の山登り、野外テントでの就眠、スキーが上位3位だった。

@高さ1000M以上の山に歩いて登ったこと(68.0%)
A野外でテントに寝たこと(60.9%)
Bスキーをしたこと(48.6%)
C木の実、野草、キノコなどを採って食べたこと(48.6%)
Dここ1年ぐらいの間に家族そろって1泊以上の旅行をしたこと(44.1%)
E日の出や日の入りを見たこと(43.0%)
Fわき水を飲んだこと(42.9%)
G親せきや友達の家などに1人で泊まったこと(39.5%)
H釣り堀は除き、海、川などで魚釣りをしたこと(36.3%)
I雪を食べたこと(30.9%)
Jここ1年ぐらいの間に家族と一緒に海や山に行ったこと(27.8%)
K自分の身長よりも高い木に登ったこと(27.6%)
L外で火を燃やしたこと(24.4%)
M外でヘビを見たこと(17.0%)
N海や川で泳いだこと(16.6%)
Oチョウやトンボを捕まえたこと(14.8%)

 市・区と郡部の地域別に見ると、未体験者は市・区の方が多い。最も地域差が大きかったのは「外でヘビを見たこと」で、市・区22.3%、郡部9.4%と12.9ポイントも開いた。次いで「野外でテントに寝たこと」が各64.4%、56.0%と8.4ポイント、「雪を食べたこと」が各34.2%、26.1%と8.1%の差が出ている。

 次に前々回調査や前回調査と比べてみると、1位の「高さ1000M以上の山に歩いて登ったこと」は、前々回54.3%、前回64.4%、今回68.0%と、未体験者が一貫して増えている。「日の出や日の入りを見たこと」も同様に19.7%、40.7%、43.0%と増加の一途。そのほか「木の実、野草、キノコなどを採って食べたこと」「雪を食べたこと」なども加えて、計10項で増加を続けている。また、「わき水を飲んだこと」は前回調査ではいったん減ったが、今回は増えた。

 一方、「スキーをしたこと」は前々回60.7%、前回54.5%、今回48.6%と一貫して減っている。また、「野外でテントに寝たこと」「ここ1年ぐらいの間に家族そろって1泊以上の旅行をしたこと「ここ1年ぐらいの間に家族と一緒に海や川に行ったこと」「海や川で泳いだこと」の4項目は前回より減少した。家族を中心にした旅行が増えつつある様子がうかがえる。(つづく)


◇     ◇



3.「君たちは偉大だ すばらしい自己に目覚める」百瀬昭次著(偕成社)
     (第一章「自分を知る」から転載)

 ◇自然との対話 
 朝早く起きて、自然の中に入っていくことがなぜ大事かといえば、自然界の一員である人間は、そうすることによって、大自然との対話ができるからです。自然と対語できる状態に自分の身を置きさえすれば、自然界は必ずわたしたちに何かを語りかけてきます。人間のような言葉は持っていませんが、荘厳な景観を展開しながら、移りゆくその時どきの状態を、人間の目に映ずる形で語りかけてくるのです。大自然が展開して見せる眺めは、ゎたしたちの心の底に言葉にも劣らぬ深い感動を与えます。

 宏大なる天空−暗黒の世界から光明の世界へ−沈黙の世界から活動の世界へと、おもむろに変化していく姿は、地球が誕生してより現代まで、それこそ気が遠くなるような長い間、すこしも変ることなく、着実にくり返して、わたしたちにさまざまなことを語りかけてきます。その中からいくつか主だったことを取りあげてみましょう。

 まず第一は辛抱強さのすすめです。わたしたちは「三日坊主」といって、何事も始めてからわずか三日で、投げだしてしまう人のことをいいますが、地球が何十億年もその回転をつづけているということから見れば、その辛抱の足りなさは、何と恥しいきわみといわなければなりません。

 第二は、目に見えない世界への着眼をうながすものです。一般には闇から光の世界へ移る自然の姿を、単に夜明けの風景と見て、地球が太陽の周囲を自転しているからだと、ただそれだけの解釈ですませるのが常ですが、ほんとうは自然界に光と闇があるように、わたしたちの世界にも目に見えないものと、目に見えるものがあることに気づくほうがはるかに重要なのです。

 ところがわたしたちは、目に見える物質にばかり目移りがして、目に見えない心をおろそかにしているのが、大方の人の姿といえましょう。これは昔もそうでしたが、特に現代はその傾向が強く、毎日のように展開される悲劇の元凶がそこにあるといってもさしつかえありません。わたしがこれからこの本に述べようとする内容も、中心はそこにあることを知っていただきたいと思います。

 第三は、苦しみは決して長くはつづかないと、われわれをはげましていることです。自然界は夜と昼をくり返していますが、決して昼だけの世界になったり、夜だけをつづけたりすることはありません。

 わたしたちの毎日の生活にも、楽しみや苦しみがありますが、これが一方だけつづくということはまずありません。楽しみの後には苦しみがあり、苦しみの後には楽しみがくるものです。どんなに苦しい艱難にぶつかっても、それに対してくず折れることなく辛抱し、がまんして前進をつづければ、必ず喜びにあふれた日のくることを教えているのです。雨の日もあれば晴れの日もあるように、人間の生活には喜びも悲しみもつきものなのです。わたしたちはどんなに絶望の淵に沈むことがあっても、もう一度浮びあがるように努力さえすれば、必ず光明の世界に出られるものです。

 また夜は、わたしたちの生活では安眠休息の時であり、昼はその反対に活動の時です。この休息と活動の世界が、交互に順調におとずれることによって、わたしたちの身体の健康は保たれているのです。休息の時には疲労を回復させると共にエネルギーを貯えて、つぎの活動期に備えているのです。平凡なことですが、この交互のくり返しこそが、わたしたちの生活のリズムとなって、きちんと正しく保たれ、それが健康につながり、幸福である基となっているのです。

 ところが、休息が長すぎたり、活動が長すぎたりすると、身体のリズムが狂って、エネルギーの発揮も十分できず、健康が害われて病気となり、不幸の原因を招きます。  自然界の一員であるわたしたちは、この平凡で単調な夜と昼のくり返しを、決してないがしろにしてはならないのです。これが人間の生活の基本形態になっているということを深く認識する必要があるのです。

 第四は、「人生はひたすら前むきに生きるものである」と説いていることです。
 既にご存知のように、地球はとどまることのない自転を、ひたすら前へ前へとくり返していきます。決して早くなったり、遅くなったりはしないし、逆回転などとかぅ破天荒なことは全くありません。これはわたしたちの人生の在り方の手本ともいうべきものです。

 確かに人間は、空間的にも時間的にも、また精神的にも前むきでなければ生きられない存在なのです。過ぎ去った背後の世界は、見ることのできない不安な空間です。

 たとえば、夜道を一人歩きをしている時などは、誰かが後からつけてくるような不安に襲われて、思わず足の運びも早くなるものです。わたしたちが一番安定している姿は、胸を張って前方に視線をむけている時といえます。ですから、過去に足をとられるような生き方からは、充実した未来は開けません。たとえどんな楽しいことがあっても、忘れ難い人がいても、それに執着していたのでは、希望に満ちた未来への前進はにぶるばかりです。悲しいこと、辛いことなら一時も早く訣別すべきです。もし過去がわたしたちの人生に生かされるとしたならば、それはあくまでも未来にむけて、過去の経験が生かされる場合においてだけです。

 第五は発想の転換です。地球は夜から昼へ、昼から夜へと、百八十度の転換を少しも戸惑うことなくやってのけます。ところが、わたしたち人間は、ちゅうちょする習慣にとらわれて、なかなか思いきった転換をとげることができません。その第一歩がふみだせないで、いつまでも穀の中から脱出することができずにいます。大きい変化であろうと小さい変化であろうと、思い切りよく転換をとげて前進して行けば、道はおのずと開かれていきます。地球はそうわたしたちに語りかけているのです。

 第六は、くり返しの重要性を説いています。地球が数十億年もの間、一日も欠かさず自転をくり返しながら、常に新しい現象を引きおこしているということは、前に述べてきましたが、このくり返しの哲理については、さらに後で述べますが、自然界の一員であるわたしたちは、この哲理から離れることはもちろん、忘れても生活できない存在であるということです。

 以上のように大自然は、人生に役立つ貴重な教えを与えてくれるかけがえのないものであることを知るべきです。


◇     ◇



4.「ゼニタナゴお帰り、霞ケ浦に 水質悪化で姿消したけど…琵琶湖に種残っていた」
    (2007年3月10日、朝日新聞夕刊から転載)

 「茨城県の霞ケ浦で数多く生息していたゼニタナゴが姿を消した。琵琶湖(滋賀県)のほとりで、約20年前から飼育・繁殖されてきた霞ケ浦産のゼニタナゴを『郷里』に帰す計画が始まった」
 「ゼニタナゴは東北や関東などに生息する日本固有のコイ科の淡水魚」「水質悪化や外来魚の影響で各地で激減。環境省のレッドリストで『近い将来に絶滅の危険性が高い』と位置づける『絶滅危惧1B類』に分類されている」
 「代表的な生息地だった霞ケ浦では、湖の環境改善に取り組む社団法人『霞ケ浦市民協会』(茨城県土浦市)が05、06年に調査したが、一匹も見つからなかった」
 「霞ケ浦産のゼニタナゴが滋賀県で生きている−−。同協会理事の萩原富司さんが知ったのは2年前。希少淡水魚の研究に力を入れる滋賀県立琵琶湖博物館(草津市)が種の保存のため、85年に霞ケ浦で取れたゼニタナゴを繁殖させていた」
 「萩原さんは昨年11月、同博物館から50匹を譲り受けた。ただ、長年水槽で飼育されてきたため、様々な条件を生き抜く遺伝的な多様性が失われている可能性が高い」「同協会は、まずは一部のゼニタナゴを天然の環境に近づけた人工の池に放し、観察している。寿命の約3年のうちにうまく産卵、繁殖すれば、ブルーギルなどの外来魚を駆除したうえで、段階的に霞ケ浦付近のため池へ放流し様子を見るという」


◇     ◇



5.鴨川の水質検査 (4月15日検査分を追加
=赤字で記入)

<調査地点@ 中橋>
日時 天候 気温 水温 COD PO4 NH4 NO2 pH
H17.04.17
10:30
22 13 0.3 0.5 0.5 8.5
H17.07.16
10:55
29 24 0.5 0.7 0.5
H17.10.29
10:15
17 12 0.5 0.5 0.5
H18.01.22
14:45
0.4 0.5 0.5
H18.04.15
11:05
晴・曇 11 13 0.05 0.8 0.1
H18.07.15
10:00
34 25 0.7 0.5
H18.10.21
10:10
19 19 0.05 0.75 0.75 7.5
H19.01.27
10:10
10 7.5 0.05 0.75 0.15 7.5
H19.04.15
 
24 17 0.7 0.7 0.2 8.0

<調査地点A 山の下橋>
日時 天候 気温 水温 COD PO4 NH4 NO2 pH
H17.04.17
 
22 16 0.7 1.6 0.3
H17.07.16
10:25
29 22 0.05 0.2 0.5
H17.10.29
08:50
16 14 0.5 0.5 0.5
H18.01.22
14:00
0.05 0.7 0.05 7.5
H18.04.15
10:20
晴・曇 13 0.75 0.75 0.15
H18.07.15
10:17
34 25 0.7 0.2
H18.10.21
10:25
23 19 0.5 0.75 0.5
H19.01.27
10:30
12 0.05 0.75 0.2 7.5
H19.04.15
 
23 17 0.4 0.8 0.2 8.0

<調査地点B 北池>
日時 天候 気温 水温 COD PO4 NH4 NO2 pH
H17.04.17
10:20
14 12 0.05 0.2 0.05 6.5
H17.07.16
11:15
26 22 0.05 0.2 0.02 7.5
H17.10.29
10:50
17 11 0.05 0.2 0.1
H18.01.22
15:15
0.05 0.2 0.02 7.5
H18.04.15
11:30
晴・曇 13 12 ----- 0.4 0.02 8.5
H18.07.15
10:40
26 23 0.1 0.5 0.05
H18.10.21
10:50
18 12 0.1 0.2 0.02
H19.01.27
10:45
----- 0.2 0.02
H19.04.15
 
22 17 0.1 0.4 0.02 7.5

<調査地点C 南池>
日時 天候 気温 水温 COD PO4 NH4 NO2 pH
H17.04.17
10:00
10 0.05 0.6 0.03 7.5
H17.07.16
11:05
25 19 0.05 0.5 0.03
H17.10.29
10:35
16 12 0.4 0.05 6.5
H18.01.22
15:00
0.05 0.5 0.02
H18.04.15
11:15
晴・曇 13 13 0.05 0.4 0.02
H18.07.15
10:30
30 21 0.05 0.5 0.05 5.5
H18.10.21
10:40
18 12 0.05 0.4 0.05
H19.01.27
 
11 12 ----- 0.4 0.05
H19.04.15
 
23 20 0.07 0.4 0.02 6.8


島村道宏