シオヤトンボと鎌倉街道考察               

 

 写真はシオヤトンボと言います。それほど希少な種ではないようですが、いままで未確認でした。やや小さいですがシオカラトンボ(写真はメスなのでムギワラトンボ)と似ているので混同していました。あるいは少し黄色っぽいけどアカトンボと思った場合もありそうです。発生期間が4月〜7月で、真夏を過ぎるといなくなることも見落としの要因だったようです(言い訳ですが)。
 記憶を辿ると、中学生くらいまでシジミチョウやセセリチョウの仲間で同一種と思っていた中に実は2種類あった、ということが時々ありました。しかし、古希を過ぎていつも見ていたトンボに「新種」発見とは!長生きするものです。


 北池はオタマジャクシで満杯です。下の方の黒い部分、呼吸ができないのではと思われる過密状態です。ソーシャルディスタンスは全く無です。




  南池は満水状態です。4月3〜4日の50o以上の大雨があり、その後も結構雨が多かったのが効いています。5月の連休も今の所、例年より雨が多いという予報ですので、夏までは干上がらないと思われます。



 次は鎌倉街道についてです。この森には「鎌倉街道」という立札が2か所設置されています。今まで全く気に留めていなかったのですが、今年は大河ドラマで鎌倉が取り上げられていることもあって、ちょっと調べてみました。その結果面白いことが分かりましたが、不明確な部分も出てきました。

 まず鎌倉街道という名前は鎌倉時代には無く、後からつけられたものでした。そして埼玉県内には鎌倉街道と呼ばれている道は下記の中道、上道、秩父道の3本があります。中道は奥州道とも呼ばれ、東北まで繋がっていました。そして、この森を通っているのは「中道」から分かれてきた「羽根倉道」です。




 羽根倉道の拡大図を見つけましたので、下記に示します。これを見ると大宮北高の北側で二股に分かれていて、三貫清水の森に来ているのは、行き止まりになっています。



 そして、立札のそばにある道が本当に羽根倉道であったのか、となるとこれが怪しいのです。前から近くにお住まいの方に取材しましたが、本当の羽根倉道は下の図のように、大宮北高の野球場とテニスコートの間を通っていたようで、だとすると立札の位置はやや西にずれています。 
 何故、この位置なのか?立札は旧大宮市の時(平成2,3年らしい)に設置されたようですが、さいたま市教育委員会に詳細を聞いてみても、合併によるためかもう資料が無く、正確な所はわからないそうです。
 推察するに、森の中の道がまさに鎌倉時代の雰囲気を醸しているので、この位置を選んだと思われます。


 
 学術論文ではないので無理に真実を追求する必要はなく、義経が頼朝に会うため平泉から進んで来たのは、森の中の道に似たものだったであろう、と想像力を掻き立てるだけで十分と思います。義経は川口付近で馬の頭数など戦力チェックを行ったという記録があるようで、羽根倉道でなく上に記載の中道を通ったと考えるの妥当でしょうけど。

 もう一つ、参考資料です。図書館で探してきた「鴨川流域の歴史散歩」という本に、三橋付近に「鎌倉街道」と呼ばれている道が出てきます(図の下の赤で囲った部分)。位置から推定するに、これも羽根倉道の一部のようです。



2022/4/23